寛政池(かんせいいけ)
寛政池の誕生
明石藩の西浦部組西島村・森(江井島)村・中尾村の3ケ村は長谷池・大池・皿池の3つのため池を持っていましたが、瀬戸川からの庄内掘割と、林崎掘割から引く大久保掘割のどちらからも末端にあたり、水がいつも不足していました。そこで寛政12年(1800年)4月から7か月間をかけて瀬戸川の上流の秋田村(今の神戸市西区岩岡町秋田)にため池を築造しました。完成した池は池ができた年号から寛政池と名付けられました。
大規模な工事と夏の暑い気候が重なり、病人が多数出て大変な苦労があったそうです。
明治26(1893)年に大干ばつがありましたが、この3ケ村は水に困りませんでした。
