入ヶ池(にゅうがいけ)

入ヶ池(にゅうがいけ)
誕生
伝承によれば、1300年前(奈良時代)の西暦714年に築造されたといわれています。
お入伝説
むかし、蛸草村では水を得るために村人たちが苦労を重ねて池の築造をしていましたが、せっかく作った堤防が水に流され池を完成することができませんでした。10数年の月日が過ぎ去ったある日、この村を切り開いた藤原弥吉四郎の孫である光太衛の夢の中に一人の僧が現れ、「堤防を6枚屏風の形にし、北の山に近いところにうてみ(洪水吐)を作ると良い。その時一人の美女が通りかかるであろう。その女を人柱にすればきっと池が出来上がるであろう。」と言いました。光太衛は村人を集め、お告げのとおり池の築造にかかりました。すると、20日ばかり過ぎた頃、一人の美女が通りかかり、村人たちは直ちに捕えて堤防の柱としたのでした。その女の名を「お入(にゅう)」といったことから「入ケ池」と名づけられました。
昭和54年の改修工事で、現在の池の形になりました。
自然環境
甲子園の3倍を超える広大な周辺にはのどかな田園風景が広がります。
レクリエーション
堤に遊歩道が整備されており、朝夕には近隣の人々が池の景色や水鳥等を見ながら散歩しています。
多面的機能
防災機能:洪水調整(洪水吐きゲート)、防火用水等